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アンのゆりかご 村岡花子の生涯(村岡恵理)

貧しい暮らしだったが、教育を受けさせたいという父の強い願いのもと花子は東洋英和女学院というミッションスクールの給費生となる。この学校で花子は英語と出会う。楽しい青春時代を送った花子だが、戦争の影がしだいに忍び寄っていた。1939年(昭和14年)、世界情勢悪化のため帰国する婦人宣教師から、花子は1冊の原書を贈られた・・・。
「赤毛のアン」誕生秘話と、訳者である村岡花子の生涯を感動的に描いた作品。

花子は父の自慢の娘だった。父は何とか花子の才能を伸ばしてやりたいと思い奔走する。父の努力のかいがあって花子は東洋英和女学院に編入することができた。花子の英語力は群を抜いていた。卒業後は英語教師になったが、書くことはあきらめず自分の進むべき道を模索し続けていた。そして「アン・オブ・グリン・ゲイブルス」との運命的な出会いが!
お嬢様学校と言われた女学校だったが、花子は決してお嬢様ではない。家は貧しく、まともに教育を受けられたのは8人きょうだいの中で花子ひとりだ。しかも、次女と三女以外の子どもたちは、養子に出されるなどして親元から離されている。
進むべき道を自らの力で切り開いていった花子。その意志の強さは並大抵ではない。驚くばかりだ。戦争中に英語と関わるなんて見つかったら厳罰ものだが、花子はひそかに「アン」の翻訳を続けた。また、空襲警報が鳴ってもひるむことはなかった。そして戦後、ついに「アン」は日の目を見る!その描写は感動的だった。花子は書くことでたくさんの人たちに感動を与えた。その功績は計り知れないほど大きい。「赤毛のアン」は、これからも多くの人に読み継がれていくと思う。それと一緒に訳者の村岡花子の生涯を描いたこの作品も読み継がれていってほしいと思う。貴重な写真も収められていて、読みごたえのある作品だ。多くの人に是非読んでもらいたい。
余談ですが・・・。
この作品に登場する「赤毛のアン」出版の立役者でタイトルの名付け親の小池喜孝氏とは、過去に2度ほど会ったことがある。その時のことを日記に書いたので、よかったらそちらの方もぜひ♪<(_ _)> → 「赤毛のアン」誕生の立役者小池喜孝さんとのささやかな接点」



| ”む” その他 | 20:32 | comments(4) | ゆこりん |


桃から生まれた桃太郎(向田邦子)

娘桃子と二人暮らしの川田竜造。彼には結婚したい女性がいた。一方桃子にもつきあっている男性がいた。お互いに相手のことを言い出せないでいたのだが、ひょんなことから誤解が誤解を生んで・・・。典型的なマイホームドラマ作品。

かなり以前に書かれた作品。読んでいて懐かしさを覚えた。父と娘のほのぼのとした関係。だが、相手を思いやるあまりそれが裏目に出てしまう。思い違いや誤解によるドタバタ劇は、向田作品にはよく見られるパターンだ。昔はこういう話のドラマが多かった。そして最後は必ずハッピーエンド。ほのぼのとした気分になりたいときに読むのにぴったりの作品だと思う。



| ”む” その他 | 19:37 | comments(0) | ゆこりん |


向田邦子の恋文(向田和子)

没後20年以上を経て明かされた、N氏と向田邦子さんの秘められた恋。妹和子さんが迷いながらも、その手紙やN氏の日記を公開した。

この本の全てが、手紙や日記で埋め尽くされているのかと期待したが、それは前半だけで、N氏の日記の部分が多く、向田邦子さんの手紙はほんの数通だった。後半の部分は、和子さんの、向田邦子さんについて書かれた文章だ。それでも、断片的に彼女がN氏とどういう付き合いをしていたのかを垣間見ることができる。N氏は自殺したという。悲しみを胸にしまいこんで、気丈に仕事を続ける彼女の姿が目に浮かぶようだ。今までにない一面を見た。



| ”む” その他 | 11:34 | comments(0) | ゆこりん |